
皆さん、こんにちは!兵庫県でギター女子をやっている、さくらです!
この原稿を書いている、2025年1月17日は、阪神・淡路大震災から30年となる、節目の一日です。被災地となった兵庫県では、追悼式典などが行われているわけなのですが…
そんな中、1月17日の少し前、1月15日に行われた知事定例記者会見が、大きな物議を醸しています。それは、
斎藤知事が、阪神大震災の犠牲者数を、本来「6,434人」と言わなければならないところ、「4,600人以上」と表現してしまった
から。
兵庫県を襲った未曾有の大災害で、亡くなった人の人数を大幅に間違えるというのは、兵庫県のトップとして、通常であれば全く考えられません。
それも、多少のレベルではなく、2,000人以上も間違えてしまっています。
なぜ、こんなことが起こってしまったのか…
本日は、兵庫県在住のギター女子・さくらが、斎藤知事が阪神・淡路大震災の犠牲者数を大きく間違えた件について、考察しようと思います。

そもそも阪神・淡路大震災とは
阪神・淡路大震災は、1995年1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震による大規模な災害です。
震源は淡路島で、マグニチュード7.3を記録しました。この地震により、神戸市や淡路島を中心とした地域で甚大な被害が生じ、6,434人の尊い命が失われました。また、約24万棟の建物が全半壊し、インフラも大きな被害を受けました。

なお、「阪神・淡路」という言葉からは想起しにくいかもしれませんが、明石市など播磨地域や、大阪府の豊中市でも大きな被害が出ています。
地震発生直後から、多くの火災が発生し、消火活動や救助活動が困難を極めました。特に、木造住宅が密集する地域では火災の延焼が広がり、多くの家屋が焼失しました。また、阪神高速や鉄道などの交通網も寸断され、都市機能が麻痺状態に陥りました。
この震災を契機に、日本の防災対策は大きく見直されました。建築基準法の改正や耐震補強の推進、災害時の初動対応の強化などが行われ、災害に強い社会づくりが進められています。
また、ボランティア活動の重要性も認識され、多くの市民が復興支援に参加しました。
阪神・淡路大震災は、日本における都市型災害の脅威を示すとともに、防災意識の向上と地域コミュニティの連携の重要性を再認識させる契機となりました。被災地の復興は現在も続いており、震災の教訓を次世代に伝える取組が行われています。
また、近代において大規模な災害を経験した兵庫県は、その後、東日本大震災をはじめとする各地の大災害において、被災地支援の取組も積極的に行っています。
兵庫県は、阪神・淡路大震災におけるさまざまな経験を、自らのまちづくりに、そして他自治体の復興支援につなげている自治体なのです。
記者会見で、斎藤知事が犠牲者数を間違える
さて、このように兵庫県にとって、阪神・淡路大震災は、決して忘れられない、忘れてはならない、忘れようもない出来事です。
しかし、それにもかかわらず、斎藤知事は記者会見において、そうした兵庫県のトップとして、絶対にしてはならないミスを犯してしまいます。
それは、
斎藤知事が、阪神・淡路大震災における犠牲者数を、大きく間違えてしまう
というもの。
動画で見てみましょう。
約2,000人も異なる、あまりに違いすぎる数値
阪神・淡路大震災の犠牲者数(死者数)は、6,434人(うち兵庫県6,402人)。
突然の災害で命を落としてしまった、本当に悲しい1人1人の人生が、6,434人分、ここにあるわけです。
にもかかわらず、斎藤知事は、この大切な数値を



4,600人を超える…
と、大きく間違えてしまいます。
原稿の読み間違い?それでは済まない
この記者会見の様子を見てみると、斎藤知事は手元の原稿に目をやり、それを読んでいることが分かります。
ここで想定されることは、



数値が逆になっただけの、単なる原稿の読み間違いでは?なので、そんなに責めなくても良いのでは?
という意見。
しかし、単なる原稿の読み間違いであったとしても、
もし斎藤知事が正しく阪神・淡路大震災のことを理解していれば、この数値を口にしたときに、「おかしい」と気づいて、正しく言い直せるはず
なのです。
言葉は自らの口から放たれ、そしてその言葉は自らの耳でも聞くことになります。
従って、もし間違ったことを言ってしまっていれば、五感がそれに気づいて、無意識のうちに「あ、すみません」と、正しい数値に言い直すよう、体が勝手に動くはずなのです。
にもかかわらず、数字を言い間違えて、それがおかしいことに気づかず、そのまま読み進めてしまう…
これはすなわち、
阪神・淡路大震災の犠牲者数という大切な数値を、斎藤知事は知らなかった
ということ。
そして、この事実は、
斎藤知事が阪神・淡路大震災に関心がないことを表す、何よりの状況証拠
になると言えるでしょう。
「〜を超える」にも違和感
また、これに関連して気になったことがあります。それは、



4,600人を超える…
という言い方です。
たとえば兵庫県の人口のように、日々変動する数値であったり、あるいは兵庫県の予算規模のように、「ざっくりした規模感さえ分かれば良い」という数値であれば、丸めた数値で伝えても良いでしょう。
しかし、震災30年の節目で、犠牲者の方々への祈りを捧げるという大切な出来事において、亡くなられた方の総数を「ざっくり丸めた数値で言う」というのは、亡くなられた1人1人の方にとって、あまりに非礼ではないでしょうか。
斎藤知事は「人の命の重み」が分からない…?
思えば、斎藤県政に関連して、2人の職員の方が自死されていることについても、壊れたテープレコーダーのように「お悔やみを申し上げる」というだけで、気持ちを込めた謝罪や慰霊は全く行っておりません。
おそらく、斎藤知事には「人が亡くなる」ということがどういうものなのか、全く分かっていないのではないでしょうか。
志半ばで人生が断たれることの無念さ。
身近な人を突然失ったことへの悲しみ。
大切な人の命を守ってやれなかったことへの悔しさ。
常に横にいてくれた人が、当然いなくなることへの絶望感…。
斎藤知事には、人が亡くなったときに感じる、こういった気持ちが、全く理解できていないように思います。
人の死に直面したときの、こういった感情にもし少しでもシンパシーがあれば、阪神・淡路大震災の犠牲者数を言い間違えることもしなければ、「ざっくり丸める」ということもしないでしょう。
そして、県政に関連して亡くなられた職員に対して、もう少し心のこもった哀悼の意も捧げられるはずなのです。
まとめ
以上、本日は、斎藤知事が記者会見において、阪神・淡路大震災の犠牲者数を大きく間違えたことについて、考察させていただきました。
阪神・淡路大震災で亡くなられた方の数、6,434人。
この数値は、阪神・淡路大震災という大災害を経験した兵庫県のトップとして、絶対に間違えてはならない数値でしたが、斎藤知事はそれを間違えてしまいました。
それも、「ちょっと違う」のレベルではなく、約2,000人のレベル感で。
これだけ大きく間違えており、かつそれを間違えたことに気づいていないということは、斎藤知事は阪神・淡路大震災の全容を理解できていないと言うこと。
そして、震災で亡くなられた6,434人の方々の無念さに寄り添えていないということ。
もっといえば、斎藤知事は人の死というものがどういうことなのかが、全く理解できていないのではないかということ。
そういった、斎藤知事の兵庫県知事としての資質に、大きく疑いが生じていることを、如実に表しているといえるでしょう。
本来、阪神・淡路大震災から30年という節目は、政治的な議論をするタイミングではないと理解しています。
しかし、今回の一連の状況は、阪神・淡路大震災から30年の節目を迎える上で、あまりにもふさわしくなかったと言わざるを得ないのです。
震災から30年…兵庫県が、このような状況になってしまったことも含めて、私たちはこれを乗り越えて、未来に向かって歩みを進めなければならないのかもしれません。



