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兵庫県知事選候補者・稲村和美さんって、どんな人?【前尼崎市長】

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皆さん、こんにちは!兵庫県でギター女子をやっている、さくらです!

斎藤元知事の文書問題に端を発し、今、兵庫県政は、大きく揺れています。

現在、県議会の不信任決議を受けて斎藤知事は自動失職し、11月18日の兵庫県知事選挙に向けて、兵庫県内はにわかに騒がしくなっています。

その知事選で、有力候補の一角と目されているのが、前尼崎市長の稲村和美さん。

彼女はいったい、どんな人なのでしょうか。

本日は、兵庫県在住のギター女子・さくらが、兵庫県知事選挙に立候補を表明した前尼崎市長の稲村和美さんについて、ご紹介しようと思います。

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目次

稲村和美さんはこんな人

ではまず、今回の兵庫県知事選に立候補を表明した稲村和美さんという人が、どんな人なのか、ご紹介したいと思います。

大阪生まれの奈良育ち、大学は神戸大学へ

稲村和美さんは、1972年、大阪生まれ。その後子どもの頃は奈良で育ち、1991年に奈良県立奈良高等学校を卒業します。

奈良高校といえば、奈良県内の公立高校としては偏差値No.1の学校。非常に優秀であったことが伺えます。

そんな稲村さん、こどもの頃の夢は、ピアノの先生。小学校で吹奏楽、中学校でギターマンドリン部、高校で軽音楽部(キーボード&ボーカル。ただし歌は上手くない)と、学生生活のすべてを音楽系の部活で過ごしておられます。

その後、1年浪人を経て、1992年に神戸大学法学部へ入学します。

在学中に阪神大震災を経験、政治を志すきっかけに

そんな稲村さんは、在学中の1995年に阪神・淡路大震災を経験します。

このとき、彼女は避難所で泊まり込みのボランティアを経験し、その中で「自治」というものの存在に気づき、神戸大学の学内に「総合ボランティアセンター」というサークルを立ち上げます。

このときの経験こそが、自分の政治の原点…稲村さんは、さまざまな講演などで、このことを口にしています。

証券会社勤務から政治の世界へ

その後、稲村さんは神戸大学大学院を修了後、地元の証券会社であった神栄石​野証券株式会社​へ入社します。最初は営業をしていたのですが、その後会社の合併を経てSMBCフレンド証券になったことで東京勤務となり、そこで人事系の業務を担当し、上司が部下を評価する「多面アンケート」(いわゆる360度評価)の導入に取り組みます。

そうした中、2002年に同社を退社し、関西に戻ったところで、当時の尼崎市長だった白井文さんの選挙スタッフをする中で政治の世界に本格的に足を踏み入れ、2003年、兵庫県議会議員選挙への当選を果たします。

県議会議員となった稲村さんは、特定の政党に属することのない、無所属議員として活動を続けますが、その中で彼女が得意にしていたのが「財政問題」。

多くの県議会議員があまりこの話題に積極的に取り組まない中、阪神大震災でダメージを受けた兵庫県財政をどのように立て直すか、といったところに、彼女の政治的エネルギーの多くがつぎ込まれました。

最年少女性市長として尼崎市長に就任

そんな稲村県議は、当時の尼崎市長だった白井市長が、2期をもって引退することを受け、2010年、後継者として尼崎市長選挙に立候補し、見事当選を果たします。

稲村さんは当時、「最年少女性市長」として大きな注目を浴びました。

一方で、当時まだ小さかった娘さんを、保育所へ送ってから、自転車で出勤するその姿は「庶民派市長」「普通のママが市長になった」ということで、多くの尼崎市民から好意的に受け入れられておりました。

市長として「財政改革」「市民自治」「イメージの改善」に取り組む

さて、当時の尼崎市は、非常に厳しい財政難に苦しんでおりましたが、稲村さんは市長として、県議時代から得意にしていた財政問題に真剣に取り組み、尼崎市の財政状況の立て直しに成功します。

ずっと赤字体質だった尼崎市の財政状況を、特段の財政テクニックを講じなくても収支が均衡するようなところまで改善した上に、尼崎市の基金(貯金)を大きく増やし、そして借金を大きく減らしたのです。

また、彼女の政治の原点だという「自治」にもこだわり、尼崎市には「自治のまちづくり条例」という条例が制定されています。

そして、「ガラが悪い」ということで敬遠されがちだった尼崎のまちのイメージの改善にも成功。住宅ローン専門金融機関が選ぶ「本当に住みやすい街大賞2018 in 関西」に選ばれるまでに、尼崎というまちのイメージは大きく変わりました。

そして、稲村市長は2022年、3期12年で尼崎の財政再建、そしてまちづくりに一定の道筋をつけた上で市長を引退し、「これからはひとりの市民として」という形で、まちづくりにかかわることを宣言したのでした。

テレビコメンテーターなどから再び政治の世界へ

市長を引退した稲村さんは、テレビのコメンテーターになったり、講演会に呼ばれて講師をしたりと、一定の仕事をしながらも、比較的落ち着いた日々を過ごしていました。

しかし、そうした中、兵庫県では斎藤知事の文書問題が発生し、県政が大混乱に陥ってしまいます。

とりわけ、斎藤知事のパワハラが県職員に与えたダメージは非常に大きく、その問題の大きさは、兵庫県議会がホームページで公表した「職員アンケート」に生々しく示されています。

こうした中、「斎藤知事ではない人を知事に」という声が県内から上がるようになるのですが、そうした中で、さまざまな方面から名前が挙がったのが、

  • 官僚出身ではない
  • 市民感覚がある
  • 理不尽なパワハラをしない
  • 県政に精通している
  • 県職員たちと信頼関係を構築できる

という要件を満たす、稲村和美さんだったのです。

こうして稲村さんは、意を決して、兵庫県知事選挙への立候補を表明するのでした。

これまでの経験に裏打ちされた「対話と信頼なくして改革なし」

稲村さんは

対話と信頼なくして改革なし

という言葉を、記者会見の中で何度も使いました。

斎藤知事時代の兵庫県政は、百条委員会が公表した職員アンケートを見る限り、職員や県民、県議会議員との十分な対話がなく、そのせいで信頼関係を構築できなかったように見受けられました。

稲村さんは、このことを見抜いた上で、「自分は対話と信頼を通じて、改革を進めていく」という、彼女なりの政治ポリシーを表明したのです。

一介の社会人に過ぎなかった証券会社時代、政党に属さず、小さな活動しか出来なかった無所属の県会議員時代、そんな「ちっぽけな自分」のころに何か物事を変えようとすれば、「対話を通じて信頼を構築」するしかなかったわけなのです。

そしてその「対話と信頼」の姿勢は、尼崎市長という権力者になった後も、「自治」にこだわり続けることを通じて、貫かれていたように感じます。

まとめ

以上、本日は、兵庫県知事選挙に立候補を表明した、稲村和美さんの経歴について、簡単にまとめてみました。

霞が関の官僚のような、圧倒的なエリートコースを歩んでいるわけではないですが、それでも関西の中では十分すぎるくらいの経歴の持ち主。

何より、一般の会社員経験⇒県議会議員⇒市長という経歴は、「役所のことを知っているけど、染まりきっているわけではない」「市民感覚も十分に持っている」という点において、非常に心強く思えることでしょう。

現在、稲村さんは、県内各地を回り、各市町長や県民の人々と「対話」をしながら、「信頼」の構築に向けて動いています。

どのような形になるかは分かりませんが、兵庫県知事選挙、要注目です。

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