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元兵庫県知事・斎藤元彦氏の「斎藤構文」を考察する【記者会見、百条委員会】

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皆さん、こんにちは!兵庫県でギター女子をやっている、さくらです!

前兵庫県知事の斎藤元彦氏は、元西播磨県民局長による内部告発に端を発した、いわゆる「文書問題」を受け、在任末期は毎週のように記者会見を行っていました。

また、百条委員会からの呼び出しを受け、そのやりとりの様子も、兵庫県議会のウェブサイトやYouTubeなどで確認することができます。

この、斎藤元知事が記者会見や百条委員会などで発言する様子を見ていると、非常に気になることがあります。

それは、

あれ、何を聞かれても同じことしか言ってないんじゃない?

ということ。

この斎藤元知事の発言内容は、一部で「斎藤構文」と呼ばれ、話題になっています。

本日は、兵庫県在住のギター女子・さくらが、この「斎藤構文」について、考察しようと思います。

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目次

斎藤構文とは

先日の東京都知事選挙で、元安芸高田市長から東京都知事選に立候補し、一躍時の人となった、石丸伸二氏。

彼の独特な言い回しは、「石丸構文」と呼ばれ、ネットを中心に、多くの人の知るところとなりました。

そんな「石丸構文」が話題になる流れの中で、斎藤元知事の記者会見での発言が注目されるようになります。

それが「斎藤構文」と呼ばれるものですが、この斎藤構文とはどのようなものかというと、

さまざまな質問をカテゴリーごとに分類し、カテゴリー単位で、極力同じ言葉で答える

というものです。

「斎藤構文」の具体例

それでは、斎藤構文の具体例を見ていきましょう。おなじみの定番フレーズをいくつかご紹介していこうと思います。

【例①】元西播磨県民局長の話題には「お悔やみを申し上げる」

文書問題のきっかけとなった告発文書を作成し、百条委員会の前に自死した元西播磨県民局長。

記者会見や百条委員会では、やはり自死の背景に自身の言動があったのではないか、というようなことがよく問われるのですが、そういった問いに対しては必ず、

心からお悔やみを申し上げる

という言葉を言っています。

それも、話の文脈からして、必ずしもお悔やみが必要とされていないような話題のときであっても、です。

「形だけは誠意を示す」という姿勢か

おそらく、元西播磨県民局長というキーパーソンが亡くなっているという事実に対して、ドライな理屈ではない、感情をもった誠意を示す必要があるという考え方のもと、

「元西播磨県民局長のことを聞かれたら、まずはお悔やみから述べる」

ということが、機械的に徹底されているように感じます。

ただ、この「お悔やみ」があまりにも機械的であること…

特に、「謝罪の意を示すべきでは」という問いに対しても、頑なかつ機械的に「お悔やみ」を繰り返すその態度については、非常に強い物議を醸しているのが現状です。

【例②】今後のことを聞かれたら「道は険しいかもしれないけど」「県政を前に進めたい」

職員との信頼関係が完全に壊れてしまい、県政を運営する上で実務を担う職員とコミュニケーションが取れなくなっている点についても、よく記者から聞かれていました。

そして、その流れのときに合わせて問われるのが「辞職しないんですか?」「続投で県政が前に進むんですか?」という趣旨の問い。

この手の問いのときに、斎藤元知事が必ずといっていいほど使っていたのが、

道は険しいかもしれないけれども
県政を前に進めたい

といった言葉です。

斎藤知事在任末期の県政運営の困難さは、素人目に見ても尋常ではなく、事務方は機能していないし、県議会はどんな提案でも否決してきそうだしで、とても正常化はできないように見受けられました。

「道の険しさ」「前とは何か」には言及しない

こういった状況の中で発生される、「道は険しいかもしれないけど」という言葉には、具体的な険しさへの言及もないですし、「県政を前に進めたい」と言われても、どの方向が前なのかの言及もない。

なので、これらの言葉は、何度聞かされても空虚に聞かされますし、そんな空虚な言葉が何度も発せられる現状に、不信感を持った県民が存在することは、容易に想像が出来るところです。

さくら
余談ですが、この「かもしれない」が「かもしない」という言い方になるのは、斎藤知事の話し方の特徴ですね。

【例③】告発文書については「核心的な部分が真実ではない」

元西播磨県民局長が作成した告発文書については、少なくともパワハラ疑惑やおねだり疑惑については、百条委員会での調査などを通じて、かなりの部分がに真実であることが明らかになっています。

しかし、そうした調査が進んでも、当時の斎藤知事は、これらの疑惑が書かれた告発文書についての見解を問われると

「核心的な部分が真実ではない」

といった答えを繰り返しています。

どこが「核心的か」は分からない

もちろん、斎藤知事には斎藤知事なりに反論等があり、それらについては当然聞く必要があると思うのですが、

では具体的な「真実ではない核心的な部分」はどこですか?

という点について、具体性のある回答が一切なく、このことが聞き手側にもやもや感を与えている印象です。

これも、「告発文書⇒核心的な部分が真実ではない」という機械的な答えの繰り返しが、不信感を増幅している面があると考えられます。

まとめ

以上、本日は、記者会見や百条委員会などで見られる、いわゆる「斎藤構文」について考えてみました。

斎藤構文は、

「この文言が関係ある」という問いに対しては、機械的に同じ答えを繰り返していく

という、まるでプログラム言語のような特徴があります。

  • 元西播磨県民局長の死⇒お悔やみを申し上げる
  • 県政の停滞⇒道は険しいかもしれないけど、県政を前に進めたい
  • 告発文書の記載内容⇒核心的な部分が真実ではない

といったように、機械的な回答を繰り返す点こそが、斎藤構文の最大の特徴。

しかし、あまりにも答える内容が毎回同じで、人間味がまるで感じられないこと。そして答えが必ずしも噛み合っていなくても、この答えを言い切り、力尽くで乗り切ろうとしていること。

こういったところが、多くの人々の不信感を招いてしまったと考えられます。

政治家の資質は、いかに自分の考えを自分の言葉でしゃべり、その内容と態度で人々の共感を得られるか、というところにあると考えます。

この点において、事前に用意していた想定問答のとおりに、機械的な答えを繰り返す斎藤知事の当時の態度は、官僚としては優秀なのかもしれないけれども、政治家としては果たしてどうだったのか…ということを、改めて考えさせられます。

今は衆議院議員総選挙モードで、あまり斎藤知事の記者会見の様子などがメディアでも報じられなくなっていますが、兵庫県知事選挙が近くなると、当時の様子を振り返る機会も増えてくるはず。

そんなときに、改めてこの「斎藤構文」に、注目していただければと思います。

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