皆さん、こんにちは!兵庫県でギター女子をやっている、さくらです!
再選後の斎藤知事の記者会見を見ていると、非常に気になることがあります。それは、
です。
記者たちが質問を続けているのに、お辞儀をしている様子はあまりにシュールで、印象に残った方も多いのではないかと思います。
しかし、どうやらそのシュールな光景の裏には、真実が潜んでいる可能性がありそうです。
本日は、兵庫県在住のギター女子・さくらが、記者会見における斎藤知事のお辞儀について、考察してみようと思います。
記者会見で追い込まれる斎藤知事
再選した後の斎藤知事は、再選前と同様に、おおむね週1回程度の定例記者会見に臨んでいますが、定例会見後に各記者からさまざまな疑惑について問われるのが通例になっています。
この状況は再選前からもありましたが、再選後はこれまでの文書問題に関する質問のほか、公職選挙法違反を疑われる行為や、人事課の個人情報漏えい問題など、新たな疑惑も問われるようになり、斎藤知事の記者会見は非常に厳しいものとなっています。
斎藤知事は、こういった記者たちからの厳しい問いに対しては、多少質問からずれていたとしても、あらかじめ用意した想定問答の回答を無理矢理当てはめて答弁し、それで押し切るという、いわゆる「斎藤構文」スタイルで対応してきています。
しかしその答弁がかみ合っていないことや、言い回しがあまりにも「官僚答弁」的であること、何より心を込めて自分の言葉で語れていないことなどから、斎藤知事は、会見のたびに心証を悪くしている印象があります。
都合の悪い質問には「お辞儀」
さて、そんな斎藤知事ですが、記者からの厳しい質問が続くと、ある行動をすることが分かってきています。
それは、
厳しい質問が来たときは、「斎藤構文」で返した後、お辞儀をする
というものです。
記者から厳しい質問が来たら、とりあえずお得意の斎藤構文で官僚答弁を発してみるものの、当然記者はそれで納得するわけがなく、「そんなわけないでしょ!」などと厳しい更問いが入ろうとするのですが…
この更問いが来るか来ないかのタイミングで、斎藤知事は丁寧にお辞儀をするのです。
そう、まるで、
とでも言うかのように。
お辞儀のあとは、司会者役をにらむ
そして、このお辞儀をしたあと、それまでの丁寧な所作からは一転、
司会者席にいる職員を、キリッとにらみつける
のです。
まるで、「こいつの質問を打ち切って、次の質問者に当て直せ」と無言で指示しているかのような態度です。
そして、そのにらみつける表情の厳しさは、とても厳しく冷酷で、これまで証言されてきた「パワハラの存在」を納得させるには十分なほど。
具体的なお辞儀のシーン
それでは、具体的なお辞儀のシーンを見てみましょう。
これは、12月26日の記者会見において、同日の週刊文春に掲載された、維新・岸口県議の行動に関するLINEについて問われたときの様子です。
疑惑について問われて「知らない」としらを切ったものの、「そのLINEが既読になっている」と迫るフリーの横田記者。
「知らない」では済まされない状況証拠が揃っています。
この危機的な状況で、斎藤知事が状況打開のために繰り出したのが「お辞儀」です。
そして、お辞儀の後、こちらから見て右(斎藤知事から見て左)の司会者をにらみつけるのです。
しかし質問はここで終わることなく、横田記者はさらに厳しい質問を続けるのですが、斎藤知事はなおまともに答えようとせず、再び「お辞儀」を繰り出して、「話は終わった」感を出そうとしているのです。
お辞儀のタイミングが不自然すぎて、違和感しかなかったんですよね、このシーン…。
お辞儀=不都合な真実が隠れている
このように、斎藤知事がお辞儀を繰り出したときというのは、
- 自らにとって都合の悪い質問が出ている
- 多少無理があっても「斎藤構文」で乗り切るしかない
- このお辞儀をもって話を終わらせてほしい
- 司会者はこのお辞儀をもって質問を終了させ、次の記者を指名してほしい
という斎藤知事の思いが出ていることが分かります。
しかし、それは逆に言うと、
お辞儀が出たということは、その質問から斎藤知事にとって「不都合な真実」を引き出せる
ということでもあります。
先ほどの横田記者の質問は、まさにそれで、
という状況でした。
ウソをつくこともできないし、かといってシラを切り続けることもできないし…まともに対応するなら、真実を語るしかない状況だったのです。
そして、そういう状況に追い込まれると、斎藤知事は「お辞儀」をして逃げようとする…。
お辞儀は同情を誘ってるだけ!
この「お辞儀」、とても礼儀正しい態度に見えるので、記者側は一瞬追及の手が緩んでしまいそうになるというのは分かります。
しかし、ここまで分析してきたように、この「お辞儀」が出てきたときこそ、そこに斎藤知事の疑惑に鋭く迫るための「真実」が埋まっている可能性が非常に高いのです。
お辞儀をしている者に対して攻撃することについて、良心が痛むという面はあるのかもしれません。
しかし、斎藤知事はまさにそこを狙って、あえて丁寧なお辞儀をしていると考えられます。誰もいない駅前でひたすら挨拶を繰り返し、同情を得ていた、あのときと同じ構図です。
そう、斎藤知事は、
のです。
お辞儀に戸惑わず、徹底的に追求を!
でも、ここまで分かってしまえば、もう恐れるものはありません。記者の皆さん、
「お辞儀」が来たときこそ、真実を知る最大のチャンス
です。
一切手を緩めることなく質問を続けて、斎藤知事から真実を引き出せるよう、あるいはそこまで至らなかったとしても「何かを隠している」ということが分かるよう、全力で追求していただきたいと思います。
「お辞儀」は斎藤知事が同情を買うために、戦略的に行っている行動です。一切、同情や良心の呵責を感じる必要はありません。
まとめ
以上、本日は、斎藤知事が記者会見において行っている「お辞儀」について考察してみました。
斎藤知事の丁寧な「お辞儀」ですが、実際のところは、
- 自らにとって不都合な質問が出てきて、「斎藤構文」だけでは乗り切れない
- 何とかしてこの質問を終わらせたい
- そのために、自らが「被害者」のように見せることで、相手の良心の呵責や、視聴者の同情を誘発する
という目的のために、戦略的に行われているものと考えられます。
この「お辞儀」に、言語化しづらい違和感を覚えた方も多いと思いますが、それは「お辞儀」という礼節を重んじるための行動が、実は打算的・戦略的な思惑があったからに他なりません。
お辞儀をしている人間を責めるというのは心苦しいかも知れませんが、それこそまさに相手の思うつぼ。
お辞儀が来たときは、あと少しで疑惑の核心に迫れる真実が引き出せる。
ぜひ記者の皆さん…特に大手メディアに所属している記者の皆さんには、この信念をもって、年明けからの定例記者会見に臨んでいただければ幸いです。